コーシュカ・ミーシュカ

いつか見た空の色を忘れないでおこう

「よろしかったでしょうか」は北海道発?

NTTおまえもか!「よろしかったでしょうか」地獄の始まり

北海道に移転が決まり、NTTに電話の移転を依頼したときのこと。NTT札幌局に回され、電話口に出たのは真面目そうな男性の声。移転先を伝えると

「お客様のご住所は、〇〇〇〇でよろしかったでしょうか?」

え‥‥よろしいですけど、なぜ過去形? いま伝えたばかりなんだから、復誦して確認するなら、「お客様のご住所は、〇〇〇〇ですね」と言えばいいのに‥‥。 

思えばこれが、北海道民が発する「よろしかったでしょうか」との初遭遇だった。 

もちろんこの手の誤った敬語もどき、全国各地で聞かないわけではないけれど、おおかた場所は飲食店、口にするのは若いバイト店員と相場は決まってる。

例えば生ビールをふたつ頼んだとしよう。オーダーを確認するなら「生ふたつですね」で十分丁寧な受け答えなのに、生ビールふたつと聞こえたんだけど、ほんとにそれでいいんですよね、違ってたら、いまのうちに訂正してくださいね、確認しますよ、いいですか、生ふたつでよかったんですよね?‥‥と言わんばかりの遠回しの責任回避のなれの果てとして、「生ふたつでよろしかったでしょうか?」というおかしなバイト用語がまかり通っているのが、昨今の風潮である。

でも、NTTのような大企業のオペレーターが、事務的な電話やりとりにおいて、居酒屋バイト君のような言い回しをするなんて! 違和感を覚えはしたものの、この人はそういう人なんだ、とその時はたいして気にもとめなかった。

北海道の不思議、接客サービス業は過去形オンパレード 

ところが! 北海道に引っ越してきたら、接客サービス業全般、どこへ行っても「よろしかったでしょうか」のオンパレード。しかも若くない人までが口にする!

例えば、道の駅のレストランに3人連れで入ると

「3名様でよろしかったでしょうか?」

と声をかけてきたのは50代くらいの女性従業員。予約を入れていたなら、確認の意味で過去形を使うのもわからなくはないが、いまひょっこり目の前に現れた3人組に向かって、なぜ「3名様ですね」とシャキッと言わないのだろう!? 

スーパーのレジを打つパートのおばちゃんたちも、もれなく過去形組だ。万札を出すと「一万円でよろしかったでしょうか?」。一秒前はもう過去なのか。

「レジ袋は3円になりますが、よろしかったでしょうか?」。これもよく聞くが、前文と後文の時制が一致してないぞー。

過去形のバリエーションとして、「スタンプは集めていらっしゃったでしょうか?」というのもある。過去に集めたスタンプはないので「いいえ」と答えていると、いつまでたってもスタンプはもらえない。これは「ただいまスタンプラリー開催中ですが、スタンプを集めていますか? 集めているならスタンプ押しますよ」という現在進行形の意味なのだと気づいたときには、もうスタンプラリー終了日だったりする。

老舗ホテルのスタッフでさえ、同様に過去形を連発するので、どのタイミングで何をどう答えていいのかわからない。頭のなかで一度、過去形を現在形に変換し、正しいと思われる意味を推測してから答えていると、妙な時差が生じてしまい、まるで自分が日本語のよくわからない外国人観光客になったような気がしてくる。

なぜ明らかに現在のことなのに、この人たちは過去形で話すのだろう?? 

過去形は北海道民の気づかいを表す丁寧語? 

常々疑問に思っていたら、ある日、図書館で手にとった「北海道あるある本」に、北海道にはもともと過去形で話す習慣があり、「よろしかったでしょうか」も、北海道発の居酒屋チェーンから全国に広まったもの、との記載があった。

「いや、そんなの初めて聞きました」と、北海道移住の先輩がいう。身近な北海道民に聞いても、そんな自覚はないという。

しかし調べてみると、電話口でいきなり「田中でした」と過去形で名乗ったり、「おばんです」の代わりに「おばんでした」と言ったりすることが、北海道では珍しくないという。そしてその理由は、「です」と断定する語調が道民にとっては上から目線に感じられ、「でした」や「よろしかった」のように「た」でとめるのは、語調をやわらかくするための道民の気づかいなのだという。

うーん、わかったようなわからぬような。確かに英語などでも敬語的表現として過去形を使うことはあるけれど、「です」より「でした」のほうが丁寧でやわらかい、という感覚は、東京育ちの私にはまるでない。

ただ、「ですね?」とキッパリ問いかけるのがきつく感じられる、というのは、北海道に暮らしてみると、わからなくもない。これは文字だけでは到底表現できない道民特有のイントネーションとも関係があるのかも。ピョンチャン五輪のカーリング女子の活躍で話題になった「そだねー」とか「〇〇かーい」という脱力系イントネーションを伴う会話のなかでは、「ですね?」というキビキビした語感は、相いれないのだろう。

ともあれ、バイト用語の「よろしかったでしょうか?」と道民の「よろしかったでしょうか?」が同じ語源なのか、別なのか、はたまた両者入り混じったものなのかは判然としないけれど、北海道に来たら北海道に従え。耳をそばだてて、ああ、こんなところで過去形を使うんだなー、くらいに思っていたほうがよさそうだ。

チェブラーシカが飛びだす卵型チョコレート

*ロシアのお菓子よもやまばなし~その1.チェブ卵

ロシアのアニメや絵本でおなじみの「チェブラーシカと仲間たち」。本国ではお菓子のキャラクターとしても使われていますが、なかでもチェブ・ファンに人気があるのが、このエッグチョコレート。日本のファンの間では「チェブ卵」とも呼ばれています。


f:id:kot2jp:20180331094846j:plain f:id:kot2jp:20180331095411j:plain

ロシアのスーパーでは、チェブとゲーナの絵が描いてあるボックスのなかに、卵型のチョコがたくさん入って売られているのをよく見かけます。これ、チェブ・ファンの間では「チェブ卵」の名でおなじみ。エッグチョコを割ると中からチェブキャラのフィギュアが出てくるお楽しみチョコ‥‥のハズなんですが、ハズレが多いと大評判。そこで試しに買ってみました。

まず1個目。パカッとチョコを割ってみると、

f:id:kot2jp:20180331094841j:plain f:id:kot2jp:20180331104702j:plainf:id:kot2jp:20180331094828j:plain

誰やおまえ?? なかから出てきたのは緑のカプセルに入った黄色いおじいさん。こんなキャラ、チェブのお話に出てきましたっけ!? 

なかに入っている説明書を読んでみると、どうやらこれは「オズの魔法使い」のキャラクター。チェブの箱に入ってたのに、なんでチェブじゃないの!?とクレームをつけたくなるところですが、よく見るとチョコ本体のどこにも「チェブラーシカ」なんて書いてないのです。書いてあるのは「ペトルーシカ」という名前と帽子をかぶったピエロの絵。

実はペトルーシカというピエロのキャラこそが商品名で、チェブはそのお友達という設定らしいんです。紛らわしいことをしますねぇ。ボックス一箱おとな買いしたのに、ひとつもチェブが入っていなかった!なんていう悲惨な報告もあります。こればっかりは運としかいいようがありません。これぞロシアン・ルーレット

では正しい「チェブ卵」はどうなっているのかというと‥‥。見た目はまるで見分けがつきません。銀紙をはがしてチョコを割ってみて初めてわかります。

f:id:kot2jp:20180331094822j:plain

2個目。今度はオレンジ色のカプセルが出てきました。開けてみると‥‥

f:id:kot2jp:20180331095254j:plain

あ、チェブちゃんがのぞいてる!

f:id:kot2jp:20180331095247j:plain

バリンバリンに砕けたチョコの卵からチェブがひょっこり生まれてくると、なんだかやっぱり嬉しくなりますね。

さてここにも説明書が入ってます。これによると、物語のいろんな場面のチェブやゲーナ、シャパクリャクとラリースカ、ピオネールの少年たちなど全26種類のフィギュアがあるようです。これはもう全部集めたくなりますよね。

気をよくして3個目。

f:id:kot2jp:20180331104424j:plain

ばんざーい! またまたチェブ。あれ、もうひとりいる。

f:id:kot2jp:20180331095225j:plain

お友達のピオネールの男の子が一緒に入ってました。なんだか得した気分。ちなみにピオネールとは、ソ連時代の共産党の少年組織ですが、いたって健全なボーイスカウトのようなもの。赤いスカーフがトレードマークです。

それにしても「チェブ卵」からチェブが出てくる確率はどのくらいのものなんでしょう。私は3個買って2勝1敗。写真で紹介したように、プレゼントの箱をもったチェブ、男の子とセットになったチェブの2体が当たりました。かなり強運!? おみくじ感覚で1個だけ買って、運試ししてみるのもいいかもしれません。

ちなみにチョコそのものも、内側にホワイトチョコがコーティングされていておいしいので、決しておまけほしさにチョコを捨てたりなんかしないでくださいね!

B型インフルエンザ発症

東京から帰ってきたら、喉が痛くなり、熱が出てきました。

翌日、町のお医者さんで検査を受けたところ‥‥。

「残念なお知らせがあります。B型インフルエンザですね」

がーん! あんなに用心してマスクしてたのに!

 

現在は北海道に住んでいるため、よく東京の友人からこう言われます。

「そっちは寒いから風邪やインフルエンザに気をつけて!」

確かにこちらの真冬は氷点下20℃。いかにも風邪ひきそうなイメージです。

でも、風邪もインフルエンザも寒さではなくウイルスが原因。

ウイルスをもった人と接触しない限り、うつりようがありません。

このところ会うのは、安全圏に隔離されたバアちゃんたちか馬くらいのもの。

それがいきなりラッシュ時の東京を駆け抜けてしまったものだから、

テキメンにうつされてしまったのでしょう。

 

すぐに院内の別室に隔離され、イナビルという吸入剤を渡され、その場で服用。

抗インフルエンザ薬といえば、ほかにタミフルリレンザがありますが、

イナビルは、指示された用量を1回分吸うだけで治療はおしまい。

これで効果が数日間続くそうですが、ウイルスがすぐなくなるわけではないので

5日間は安静にし、さらにもう2日、外出を控えるようにとのこと。

また、発熱、せき、くしゃみ、鼻水などの症状がしばらく続いても、

悪いものを体外に出すためなので心配ない、との説明でした。

 

その通り、最初の3日間は熱とくしゃみと鼻水に悩まされました。

それと、一日中ベッドにいるので背中が痛くて痛くて寝てられない!

背中が痛い→起きて動く→熱が出る→寝る→背中が痛い

この繰り返しが止まらず、湿布薬を貼ってひーひー言ってました。 

そして4日目の朝、あれれ?と思うほどスッキリ爽快に。

熱は完璧に下がったもよう。幸いこのまま順調に回復しそうです。

 

ところで、インフルエンザといえば、タミフルを服用した子どもが

異常行動を発症して事故を起こす事例が相次ぎ、

一時問題になったことがありますが、タミフルは無関係だったのですね。

小さい子どもがインフルエンザにかかると、薬の服用の有無にかかわらず

次のような「精神・神経症状」が現れることがあるそうです。

 

●普段と違うとっぴな行動をとる

●うわごとを言ったり興奮したりする

●幻覚が見える

●意識がなくなったり、ぼんやりしたりする

●妄想、けいれんなど

(イナビルの説明書より)

 

こうした異常行動の原因はまだわかっていないもよう。

それより、タミフルをのむと高いところから飛び降りたくなって危険、

という最初の情報が刷り込まれたままなのが気になります。

はてなブログを始めたわけ

本日、はてなブログ開設しました。どうぞよろしく。 

最初にブログを始めたのは、2005年春のこと。

あれからもう13年。早いものです!

メモがてら、はてなブログに至るまでの道のりをつらつらと。

 

ブログを始めた理由は、そのころ翻訳していたプロコフィエフの日本滞在日記を

少しでも多くの方に読んでいただきたかったから。

20世紀ロシアの作曲家プロコフィエフが来日したことがある、ということ自体、

あまり知られていませんでしたし、ましてや彼が当時の日記を残していたことは、

一部の音楽愛好家のみが知るところでした。

 

そこで、懇意にしていた出版社の編集者に、日記の翻訳出版を打診したのですが、

興味はもっていただけたものの、売れる要素がない、と判断されてしまい、

お話は宙に浮いてしまいました。

 

でも、作曲家自身が記した日記は、貴重な文献でもあります。

「読みたい」と思ってくれる人が、必ずや日本にもいるはず。

そう思ったときに思い当ったのが、当時「初心者でも手軽に始められる」

と話題になっていたブログでした。

 

そもそも日記とブログは相性がいいですし、カレンダー機能があるので

作曲家がいつ何をしていたか、日付から行動を知ることもできます。

そうだ! あたかも作曲家自身がブログを書いて発表しているかのように、

実際の日付と連動させて、日記を毎日更新していってはどうだろう?

 

そう思って、ブログの勉強を始め、どのブログサービスがいいのか、

手当たりしだいに見てみた結果、gooブログを選びました。

というか、それ以外に選択肢がありませんでした。

なぜなら、プロコフィエフが来日したのは、1918年。

多くのブログのカレンダーは、21世紀にしか対応しておらず、

20世紀の過去記事が書けるのは、gooブログしかなかったからです。

 

プロコフィエフの日本滞在にまつわる日記は、1918年5月15日から8月2日まで。

それをカレンダー通りの日付にコピペして、下書き保存しておき、

2005年5月15日から連日公開していきました。

それがこちらの「プロコフィエフの日本滞在日記」です。

 

blog.goo.ne.jp

最初は細々と公開していましたが、あるとき突如として訪問者が増えてビックリ!

後日、クラシック音楽サイトでご紹介していただけたと知り、

このとき初めて、拡散の威力を実感しました。

*もっとも、当時は「拡散」という言葉は、まだ使われていませんでした。

 拡散がネット用語として使われるようになったのはいつ頃からでしょう??

 

この日記の翻訳文は、のちに『プロコフィエフ短編集』(群像社ライブラリー)に

収録していただき、晴れて書籍となって刊行されました。

出版という当初の目的は達成されたので、ブログは閉鎖すべきかもしれませんが、

出版元のご厚意により、書籍化されたあとも公開し続けています。

これを「放置」ともいいますが(笑)、プロコフィエフはなかば公人ですので

アーカイブとして永久保存する意義はあるのではないかと思っています。

 

さて、このプロコブログと並行して、同じくgooで日記ふうの個人ブログを始め、

エキサイトでテーマを特化したブログをつくってみたこともありました。

そうこうするうち年を重ねて13年(!)、新しいことに挑戦するのが億劫になり、

少々使い勝手の悪さを感じながらも、同じブログを使い続けているのが現状です。

そこで今回、いろいろ検索して多くの方の意見を拝見した結果、

はてなブログを(とりあえず無料で…)始めてみることにしました。

 

書いてみたいと思っているのは、リアルに身の回りで起こっていること。

例えば、北海道生活、高齢者介護、それから本業である本づくりについて。

とりあえず書き始め、デザインの体裁はおいおい整えていくことにします。

日々是勉強。ダヴァイ!